

人生も折り返しを過ぎると、旅に求めるものが変わる。有名な観光地を巡ることより、何もしないで過ごす時間。妻と一緒に温泉に浸かって、美味しいものを食べて、部屋の窓から景色を眺める。それで十分。近場の川越と長瀞で過ごした三日間は、そんなことを教えてくれた。
最終日の朝、窓を見つめる
朝の窓。三日間見ていた景色。それは特別な観光地の絶景ではなく、宿から眺める川越・長瀞の静かな風景だった。目を覚ましてから朝食まで、何度もこの窓を通して外を見た。最初の朝はこんなものだと思っていたが、二日目、三日目となると、その景色に気持ちがどんどん引き込まれていく。もう見なくなるこの光景を、心に留めておきたくなる。そういう思いで窓を開けて、何もせず眺めているだけだった。旅先での朝日の当たり方は、どうしていつもと違って見えるのだろう。わずかな時間でも、その場にいる間は、そこが自分の世界のすべてになってしまう。宿の窓から見える風景が、どれほど素晴らしいものであるかは、実は重要ではない。その窓越しに毎朝見つめていたという行為そのものが、その旅を旅たらしめていたのだと思う。朝食を食べ終わったあともう一度部屋へ戻り、仕度をしながら何度も外を見た。妻も同じだったのか、ソファに腰かけて、無言でしばらく窓の外を見ていた。やることがない旅だからこそ、こういう『見つめる時間』ができるのである。

短い旅で実際にしたこと
三日間の短い旅で実際に何をしたかと言えば、本当にたいしたことはない。初日は川越をほんの少し歩いた。二日目は長瀞の街を少し歩き、宿に戻って温泉に浸かり、食事をした。昼寝もした。夜は酒を飲んだ。若い頃なら『もっと観光地を巡ればよかった』と後悔したかもしれない。有名な寺社仏閣、絶景スポット、名物料理を食べ歩く。そういう『充実した旅程表』を埋めることが、いい旅だと信じていた。だが今は違う。近場だったからこそ、午後から出発できて、チェックアウトも早い。旅に出てから帰宅するまでの全体が、ゆるやかで余裕のあるものになった。なにも詰め込まない。予定もほぼない。三日間、かなりダラダラしていたのである。温泉から上がったあとのビール。昼食後の昼寝から覚めたときの呆然とした感覚。妻と『今日も結局何もしなかったね』と笑い合うこと。そういう小さなシーンの方が、旅の思い出として心に残っているのだ。

ありふれた景色が思い出になる
チェックアウトの時間が迫ってきた。荷物を整理して車に積む。最後に、もう一度部屋から外を見た。この三日間、毎朝毎晩、幾度となく見つめていた景色。それは観光ガイドには載らないような、ただ静かな川越・長瀞の風景である。でも、きっと数ヶ月後、一年後に、この景色を思い出すんだろう。旅行の思い出というと、派手な観光地や絶景、名物の一品を思い浮かべてしまう。ところが実際に残っているのは『宿の窓から見た朝の光』『温泉のあとのビールの冷たさ』『昼寝から目覚めたときのぼんやりした気分』『妻と一緒に『何もしなかったね』と笑ったこと』。そういう無名で小さな、言葉にしづらいシーンばかりである。旅行は何かをするためだけのものではない。何もしないために出掛けてもいい。その『何もなさ』が、実は最高の贅沢なのだということを、この三日間で学んだ気がする。

帰路で感じたこと
帰りは早めに。まだ昼間の時刻に家へ向かった。旅行から帰るというだけで疲れ果ててしまうこともない。到着してからも十分に時間が残っている。近場だからこそのいい点は、移動の負担がないということだけではない。気持ちに余裕が生まれるのだ。遠くへ行く旅も悪くない。だが人生が進むにつれて『どこへ行くか』より『どう過ごすか』の方が大切になってくるのかもしれない。夫婦二人、観光を詰め込まず、予定もほぼなく、ただゆっくり時を重ねる。温泉に浸かり、美味しいものを食べ、景色を眺め、何もしない。帰路の車の中で、妻と『またこういう旅をしようね』と約束した。次も遠くなくていい。午後から出発して、温泉に泊まって、早めに帰る。そんなシンプルな旅のサイクルが、今の自分たちにはぴったりなのだと感じた。

無理なく楽しむヒント
近場の温泉旅行だからこそ、の工夫をいくつか。まず、予定を詰め込まないこと。観光リストを作らない。『ここは行かなきゃ』という強迫観念を持たずに出掛ける。次に、移動時間が短いメリットを活かす。午後出発なら朝はゆっくり準備でき、帰りも昼間に出発できる。宿選びは、景色が良い窓辺、居心地のいい部屋を優先する。部屋からの眺めが、その旅のメインになるくらいの気持ちで。そして、スマートフォンをあまり見ないこと。SNS映えを狙わず、景色を眺める時間、妻と話す時間を大事にする。温泉は何度でも入ってよい。朝風呂、昼風呂、夜風呂。温泉地なら、そのくらいの贅沢は許されるはずだ。



















