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旅の最終日の朝。目覚めてまず時計を見た。まだ時間がある。湯の山温泉の静寂を感じながら、最後の朝風呂へ向かった。何度も入った温泉なのに、「これで最後か」と思うと少し名残惜しい。朝食を食べ、部屋に戻り、荷物をまとめながらも出発を急がない。チェックアウトまでの間、妻とお茶を飲み、窓の外を眺める。関宿で古い町並みを歩き、湯の山温泉でゆっくり休む。特別なことは何もしていない。でも「いい旅だったね」と二人で笑う。子育て後の夫婦旅行だからこそ感じられる、そんな時間の豊かさの話です。
旅の最後の朝、静寂に包まれた朝風呂
旅の最後の朝は、不思議と少し早く目が覚める。何度か目覚めて、また眠る。その繰り返しのなかで、いよいよ旅が終わるのだという感覚が、じわじわと心に染みてくる。時計を見る。まだ時間がある。旅館寿亭の廊下は、早朝の静けさに包まれていた。足を運ぶ音さえ申し訳ないような、そんな静寂だ。浴室へ向かう。何度も入った温泉なのに、最後だと思うと別物に感じられる。白濁した湯は相変わらず温かく、昨日までと同じ湯気の立ち方をしているはずなのに。朝日がわずかに浴室の窓に差し込み、湯面がかすかに光っていた。一人占めの朝風呂。耳を澄ますと、宿の外からは野鳥の声。人ごみのない、本当に静かな朝。これこそが温泉地の朝の醍醐味なのだと、あらためて思い知らされた。 旅館寿亭で宿泊予約

何もしない時間を一緒に過ごす幸せ
旅館寿亭へ戻ると、朝食が用意されていた。昨日までと同じく、ご飯に味噌汁、焼き魚、漬物。何てことのない朝食だが、宿の食事というのはこういうものだ。何もよぶんな工夫をしないで、素直に美味いと思わせる。食べ終わって部屋に戻ると、妻は窓際に座っていた。外には湯の山の緑が広がっていた。荷物をまとめるのに、別に急ぐ理由はない。チェックアウトまでまだ時間がある。お茶を淹れ、二人で並んで座る。今回の旅を思い返す。関宿では古い町並みを歩いた。木造の家々が並ぶ通りで、あれこれ店を覗いた。甘いものを食べた。湯の山温泉では、何度も温泉に入った。旅館での食事をした。ビールを飲んだ。昼寝をした。そして、二人でゆっくり話した。特別なことは、それほどしていない。でも「いい旅だったね」と思う。その理由を、しばらく二人で考えていた。

どこへ行ったかから、誰とどう過ごしたかへ
子育ての時代は、旅も目的地が大事だった。有名な観光地、有名な料理、有名な景色。できるだけ多く見て回ろうとしていた。ガイドブックを片手に、効率よく周ろうとしていた。でも今は、少し違う。どこへ行ったか。何を見たか。そういうことよりも、誰とどんな時間を過ごしたか。その方が何倍も大事に思えるようになったのだ。夫婦二人で歩く。同じ景色を見る。同じ料理を食べる。温泉に入る。そして、それぞれ好きなように宿で過ごす。何もしない時間を一緒に持つ。それだけでも、十分に旅になる。子育てや仕事で忙しかった頃には、こんな時間を持つことはなかなかできなかった。人生後半の夫婦旅行だからこそ、そういう贅沢ができるようになったのかもしれない。

次の旅のことはまた今度でいい
チェックアウトの時刻が近づいた。旅館寿亭の玄関で靴を履く。妻と顔を見合わせた。帳場の女性に頭を下げ、車に乗り込む。さて、次はどこに行こうか。その問いが浮かぶが、今はまだ決めなくてもいい。決めなくたっていいのだ。また休みが取れたら、そのとき考えればいい。古い町並みを歩いて、温泉に入って、美味しいものを食べて、宿でゆっくりする。そんな旅を、これからも二人で続けていけばいい。夫婦二人で楽しむ大人旅は、そのくらい気負わないほうがいい。関宿で「歩く」。湯の山温泉で「休む」。今回の旅は、そのくらいがちょうどよかった。

無理なく楽しむヒント
子育てと仕事の忙しさから解放されたこの時期だからこそ、旅は気負わなくていい。朝は少し早めに起きて朝風呂に入ること。温泉の朝は別格だ。昼間は無理に観光地を回らず、宿でお茶を飲んだり、昼寝をしたり、ただ一緒に時間を過ごすことに価値がある。体力に自信がなければ、温泉地での宿泊を中心に、その周辺の散策程度で十分。夏の湯の山温泉は朝晩は涼しいが、日中は日差しが強い。帽子やサングラスはあった方がいい。温泉は何度でも気兼ねなく利用できるので、疲れたら温泉に入るくらいの気軽さで。













